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家族という奇跡

 

東京など一部の地域ではお盆が終わったばかりかと思います。

 

最近の私は断捨離の勢いが止まらず、本や楽譜の量が随分とコンパクトになりました。

大量にあった古い写真は、数年前の転居の際にほとんどをデータ化し、ごく一部だけが残っていますが、今回の断捨離スキームで紙の写真は遂に一掃されてしまいそうです。

 

古い写真の中に実家に居た犬を見つけるといつも手が止まってしまいます。私が大学に入学した頃、家族になりました。チャーリー・パーカーの娘さんの名前をいただいて私がプリーと名づけました(我ながら渋すぎる趣味としか言いようがないです)。自分なりにお世話をしていましたが、充分ではなかった気がして申し訳ない思いが残っているのかもしれません。社会人2年目に実家を離れて東京に住むようになってからは、たまに帰省した時に遊ぶくらいでした。家族が亡くなる前にはいつも予感があるのですが、プリーの時もそうでした。ある年の夏、ドイツに長期滞在して欧州内の路線を担当していた時、度々実家に電話をかけては、どこも悪くなく元気だったにもかかわらず気になって「プリーは元気?」と毎回確認していました。8月のお盆の頃、日本に戻る直前にプリーは旅立っていました(家族が私に気を遣い、帰国まで知らされませんでした)。今は後から来た父と、あの世で一緒にいてくれていると思います。

 

  

プリー、奇跡のような美しい時間をありがとう。お父さんと仲良くね。